IT業界のフリーランスとして働きたいという目標を持って勉強をしている人も多くいると思います。実際に成功を収めてフリーランスとして活躍している人の経歴も気になったりするのではないでしょうか?
今回はそんなIT業界一筋で30年のキャリアを持つ「たかさん」にお話を伺いました。IT業界で働いている人はもちろん、IT関係の勉強を始めた人やフリーランスとしての仕事に興味がある人にもきっとタメになる内容です!
たかさん
学生時代からIT業界で働くことを夢見て、高校生の時に独学で情報処理とプログラミングの学習を始める。大学では情報工学を専攻し本格的にITの道に入る。大学を卒業してからはIT業界一筋のベテラン技術者。仕事内容もプログラマに始まり、提案営業からプロジェクトマネージャ、開発、保守まで幅広いフィールドで活躍されています。
目次
全ては友人の家で目にしたコンピューターとの出会いから始まった
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たかさん
独学も経験した努力家がプロフェッショナルになるまで
中学の時にパソコンと出会い、それから夢はコンピュータ関係の仕事をしたいと思い始めました。まだ、当時はパソコンが自宅にあるという時代ではなくかなり高価なものでした。
友人の家に遊びに行ってパソコンに触れた時、これを使った仕事をしたいと思ったのがIT業界を目指すようになったきっかけです。高校の時は独学で情報処理の勉強をし、プログラミングも独学でCOBOLを勉強しました。
しかし独学で勉強するにはハードルが高く、何も頭に入ってこなかった記憶があります…。
大学時代の知識と経験が将来の選択肢を広げるきっかけに
大学では情報工学を専攻し本格的にC言語、COBOLのプログラミングの勉強を始めました。一方で人工知能の研究も行い、現在のAIの基礎を学んでいました。
これは今の仕事にも活かせている唯一の知識と自負しています。大学を卒業してからは夢であったIT業界一筋で気が付いたら30年目に突入しています。
仕事はプログラマから始まり、今では提案営業からプロジェクトマネージャ、開発、保守まで幅広く対応できる万能な知識を身に着けてきました。
エンジニアの不足でどうなる2030年?!気になるIT人材の不足の現状IT企業で経験を積みフリーランスへ転身
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プログラマからマネジメント職へのスキルアップ
IT業界を転々としており、いろいろな業種とポジションを経験してきました。
最初の会社は大手IT企業で大規模公共施設のシステム開発を行いました。当初はCOBOLのプログラマとして開発に携わっていました。
徐々にステップアップし、ハードウェアを含めたシステム全般の設計を担当するようになりました。お客様と接する機会も増え、システム営業として提案から設計、開発まで幅広く担当しました。
この頃からプロジェクトでもリーダーからマネージャーへと昇進し、プロジェクト全般の責任者として活躍していました。約8年ほどで次のステージに進みたいと考え、転職することになりました。
2つ目の会社では官公庁のシステム開発に従事し、プロジェクトマネージャーとして複数案件のプロジェクトをまとめる立場で業務を行いました。
開発は好きだったので独学で学んだVisualBasicを使い、システム開発を行いました。
また、中国へのオフショア開発もブームになった頃で中国人エンジニアと一緒にプロジェクトを進めていました。中国人エンジニアの良いところ、悪いところを学ぶ良い機会で、良いところを参考にしながら自身にないものを付加していったように思います。
約3年ほど経ったころ、中国人の友人と上海でIT関連の会社を作ろうという夢を語り合った記憶があります。これを実現するため勤めていた会社を辞め、上海で事業を開始しました。
かなり無理をしたと思っています。結局、タイミングが悪く、SAASが流行し、一度日本に帰国することになりました。
事業の失敗を糧に新たなステージへの挑戦
帰国したあとは、2つ目の会社の紹介で同じ系列の会社に就職することができ、官公庁関係のシステム開発の仕事を中心に、金融系、医療系など今まで経験してこなかった業種のシステムに触れることになりました。
3つ目の会社では主にシステムの運用保守を中心に行っていましたが、お客様とのコミュニケーションを如何に行うかということを求められました。スーパーバイザーとしてメンバーをフォローしながら運用保守サービスを作り上げていきました。
保守を通して、システムを維持していくために必要なノウハウを習得し、システム開発のエンジニアとしてスキルセットが揃ったように思いました。この頃から週末の空いている時間を使い、大学院に通うようになり、MBAの勉強をはじめました。
培ったノウハウを生かせる場として起業を選択
この時期に起業をしたいと思いはじめ、IT業界で培ったノウハウを会社経営に活かすことができないか研究を行いながら独立することにしました。
4つ目の会社は自身での会社経営でした。これも実際にはIT関係の会社で企業から一般消費者まで幅広く事業を行っていました。
この頃、芸能人の方と雑誌の対談などを行う機会があり、私の夢でもあった人材育成について語りつくした記憶があります。人材育成といっても幅広く、企業向けに新入社員研修でJAVAを教えたり、プロジェクトマネジメント研修を企画し実施したり、通信教育を行ったりと日々人材育成に取り組んでいました。
しかしながら、リーマンショック後の景気の悪化により一旦事業撤退し、再び組織に戻ることにしました。
企業での経験や人脈がフリーランスの仕事に繋がる
5つ目の会社では大手携帯キャリアでコールセンターの立ち上げなどに従事し、主にネットワークの知識を使いながら仕事をしていました。システム全般の設計業務を行っていましたのでネットワーク設計、構築なども任せていただきプロジェクトマネージャとして全国のコールセンター立ち上げに貢献していました。
ネットワーク設計、構築のエンジニアというかなりハイレベルではありますが、CiscoのルータやSW-HUBの設定など物理的なネットワークの設計、構築だけではなく、論理的なネットワークの設計、構築を行っていました。これについてもほとんど独学で身に着けたスキルになります。
この仕事も長くは続かず、転職し、6つ目の会社に転職することになりました。
何か面白いことをしたいと社長に懇願し、自動車、自動車部品関連のお客様を中心とした産業ITソリューションという事業を立ち上げ事業を進めてきました。約3年で事業撤退することにはなりましたが、7つ目の会社にそのまま事業を持ち込み継続していました。
7つ目の会社は外資系のIT企業で自動車部品関連の会社をグループに持っていました。私のやっていた事業がマッチしたため自動車、自動車部品関連の会社への事業も順調に業績を伸ばすことができました。
しかし海外駐在中に体調を崩してしまったことで退職することになりました。継続してほしいとの周囲から要望もあり、産業IT関連の事業を継続するため、会社を再度設立しました。
これが今のフリーランスのベースになっていますが、約3年ほどになります。経営サイドで事業企画を行っていましたが、受注後は自身で設計開発に携わり、エンジニアとして業務を行いました。
開発環境はPCサーバでVisualBasicなどで開発していました。職場の雰囲気はとても自由度が高く、自身のやりたいことができたのでよかったと思います。
結果的には社員を抱えて事業を継続するのが難しくなり約2年前にフリーランスとして生計を立てることになりました。
会社員や経営者を経てフリーランスを選択
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たかさん
フリーランスの醍醐味は自分にしかできない仕事をする事
フリーランスになる前は、3回ほど会社を起業し事業を行っていました。自身で会社を立ち上げ、経営するということを一度はやってみたいと思っていました。
しかしながら会社を設立するということは社会的責任も大きく、また社員を抱えるということも負担が大きいのが事実です。景気がよければ何とかなりましたが景気が悪いと一気に負担になってきました。これが自身の中で少し誤算が生じたことかなと思います。
当然、信用という意味では会社を設立していた方がよいと考えていましたが、この頃からフリーランスという生き方を本気で考えるようになり家族と相談もしました。
また、顧客や取引先とも何度か協議を行い、フリーランスでも変わらず仕事を発注していただくことができるのか、可能性はあるのかということを真剣に議論し、フリーランスでも私が活躍できる場があると確信できたのでフリーランスとして活動することを選択しました。
やはり大きかったのは、顧客、取引先との関係構築も長年にわたりできていたことで私がいないと進められないという雰囲気ができていた点だと思います。技術的な問題、納品に関する問題、コストに関する問題などいくつか課題はありましたが1つずつ解決していき、信頼関係を築くことができました。
これがフリーランスでも取引をしていただけている背景にあり仕事では大手企業にはできない柔軟性で逆に引き合いを多くいただいています。仕事内容としてはフリーランスになっても自動車、自動車部品関連の会社へ産業IT関連の事業を継続しています。
フリーランスになってからは自身で何でもやらなければいけないのでお客様から要件をヒアリングし、提案書を作成し、お客様のやりたいことをどうやって実現できるかということを一緒に考えるようになりました。
これがベースとなり設計、開発と進んでいくのですがやっている業務は大手と全く変わらないことをこなしています。
試行錯誤でお客さんとの信頼を勝ち得る
フリーランスになる前は、会社という組織に守られていたので現場でも信用していただき、お客様のネットワークなどにアクセスする際の許可も特に問題はありません。もちろん、PCの手配や入館証の発行なども時間がかからずやってもらえます。
しかしフリーランスになると、会社という組織に守られていないので単独で乗り込むのは不可能でどこかの組織に入れてもらえないとなかなか現場で作業をやるということは難しいと感じました。どうやって仕事をすればよいのか何度か議論をしたことがありますが、結局どこかの企業と組んでやるしかないという結論になり、フリーランスとして独立したことに何度か後悔をしたことがあります。
その時感じたことは、日本ではフリーランスが直接、顧客と契約して対価を得るというのは時期早々と感じました。ですが行っている業務は契約形態など関係なく、同じ内容の仕事をしており、かなりの不満はありました。
この問題は率直にお客様と議論を行い、解決するまで相当苦労をしましたが信頼関係ができてしまえばこの問題もなく、やりやすくなっていきました。
フリーランス転身ですべては自分次第
フリーランスになる前は、就業時間に管理され、毎朝、満員電車に乗り通勤していました。会社でも規則に管理されながら不自由な生活を送っていたと思います。
フリーランスになってからは、働き方は自由です。毎日が自身の計画に基づき進んでいきます。勤怠管理もないので毎朝、決まった時間に通勤をすることもなく、空いている時間を有効に活用しています。
時間が自由になるということは他の仕事も自身のやり方でいくらでもできるというプラス要素が大きく、今まで以上に仕事時間が充実しました。収入面ではフリーランスになる前は安定していたので小遣いも比較的自由になる額は多かったですがフリーランスになってからは収入は安定しないので小遣いも減らし、自由になる額は減額しました。
裏を返せば、フリーランスで実績を積んでいけば収入も安定し自由になる額も増えるので自分の努力次第と思うようになりました。
自由度の高いフリーランスで大切な自己管理に関するアドバイス
働き方については、時間の管理を自身でやらなければいけないので最初は苦労しました。しかしながら、徐々にですが自身で時間管理をするようになり、用事がなくても同じ時間に出かけるという工夫はしていました。
収入面では毎月不安定であるので安定した案件をどう獲得するか最初は手探りでした。案件の取り方も実績のないフリーランスは相手にしてもらえずしばらくは苦労していました。
この時期にやはり活用したのは商社などの知人を頼り、一緒にビジネスを進められないか売り込みを行いました。少しずつですが周囲の協力もいただきながら進めることができたので仕事量も増えていったように思います。これが一番苦労したところかもしれません。
確定申告などの事務処理は起業経験もありましたが、自身でやるには少し厳しいと感じています。営業しながらエンジニアとして業務を行い、事務処理も行うというのは厳しいです。
フリーランスで働くには会計事務所を活用するなど考えた方がよいかもしれません。また、会計事務所であれば税金対策などのアドバイスもいただけるのでとても強い味方になると思います。
これ以外、社会保険労務士などのアドバイスも実は補助金などの申請などでアドバイスをいただけるので活用するべきと思っています。大きなハードルはコスト面かなと思います。これも相当苦労しました。
そこで考えたのがコストがかかるので人材ネットワークをうまく活用し、低コストでこれらのアドバイスを受けられる仕組みを活用することです。いろいろ苦労してその中でベストな方法を検討していくのもフリーランスの避けては通れない業務の一つと思います。
フリーランスは厳しい時期を耐えるのも必要
フリーランスとして安定して稼げるようになるのは1~2年くらいは要したと思います。以前やっていた仕事の開発案件を獲得したところからはじめ、その機能改修を受け、そして新規案件の開発と少しずつ業務量が増えていきました。
またヒューマンリレーションをうまく活用し、知人の会社に取引を持ち掛け業務委託契約を数件獲得できるようになった事で、収入面も安定してきました。毎月50万程度の安定した収入を確保できるようになったので正社員で企業で業務していた時に比べるとあまり差がないと感じています。
案件によってはインセンティブ報酬を契約内容に含めていたのでこれを加えるとトータルで正社員の時よりも年収で300万ほどアップすることができ、年収1000万超も現実的になってきました。
IT業界のエンジニアとして長年活躍しているからこそ感じる事
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たかさん
エンジニアとしての出発は意外なものでした
大学を卒業して入社した会社でCOBOLの開発者を求めていたので即戦力で公共システムの開発を任されました。これがエンジニアとしてのデビューになります。
約2年ほどの開発期間を要する規模の案件でした。新入社員ということもあったのでこの頃はすでに設計されたものを淡々と開発するだけでした。
言われるがまま開発をするエンジニアでつまらない仕事だなぁという思いが強かったと記憶しています。この時に転機があり、先輩から「設計をしたいなら現場でみんながやっていることを盗め」と言われたのを今でも覚えています。
その言葉で自身でも設計したいとの思いが強まり、毎日少しでも吸収しようとメモを取り、プログラマからエンジニアにステップアップできました。これが良かったのか悪かったのか、そこからはフロントに出る機会が増えることになりました。
開発業務でもエンジニアよりもシステム営業、プロジェクトマネージャとしての立場が多くなり、自身で開発を行うという機会が一気に減ってしまったように思います。しかしながら、この時の経験値が今のベースになっています。
エンジニアという仕事に欠かせない信頼関係
エンジニアという仕事をしていてよかったのは常に新しい技術を研究開発できたことです。研究開発に関して人、モノ、金の投資があり、職場の環境は良かったと思います。
待遇面でも頑張って結果を出せばそれ相応のポジションを与えられ、与えられる仕事もレベルアップしていきます。IT業界でエンジニアをしていてよかったと思う点は、どんなに世の中が景気が悪くなっても自身の会社は景気が悪いと感じないところです。
収入面でも仕事内容に準じた対価をいただいていました。残業は多く、若いころは相当働いてきましたが今は働き方改革で残業も抑制され、休暇も取れるようになり改善されてきていると感じています。
エンジニアもプロジェクトマネージャや提案営業などのフロントに出る仕事が増えてくると責任も一緒に大きくなります。時には事業計画など会社の経営にもかかわるようになり本来のやりたい仕事が出来なくなる苦痛を味わっていました。
この時からエンジニアは一生涯できる仕事ではないのかもしれないと不安を抱いたこともあります。身の丈を十分に理解し、出来ることだけを引き受けないと結果として信頼を失うことになります。
独学で知識を吸収して活躍
大学以外でのプログラミングの勉強はすべて独学でした。もちろん、ほとんどが業務でいろいろ調べながら知識を習得していったと思います。
それ以外の言語、特にJAVAについては、JAVAの書籍を購入し、実際に自身で例題を解いていくような訓練を繰り返しました。平日日中は働いていたので帰宅後の数時間や土日の空いている時間を勉強の時間に充てていました。
とにかく時間を有効に使うということを考えていました。
【あなたも当てはまらない?】プログラミングに挫折してしまう理由とはフリーランスITエンジニアとしての心構え
フリーランスは孤独で誰にも守られていません。しかし自由度があり、自分のやりたいことを見つければ会社という組織の中で実現できなかったことにチャレンジすることができます。
何をしたいのかという夢を持つことが大事だと思います。
また、一人では何もできません。一緒に活動する仲間、相談する仲間はやはり必要です。
幸い私は人脈を大切にしてきたので何十年も一緒に仕事をしてきた仲間もいます。これらの周りの人たちに積極的に声をかけ、自身がやりたい夢を語り共感してくれる仲間を作ってきました。
また、フリーランスを集めてコミュニティを作ったこともあります。高いレベルを持って活躍しているフリーランスをコミュニティに誘い、力を合わせることで大手企業にも勝るプロフェッショナル集団ができると思っています。
そういういろいろな活動を行うハングリー精神がないとなかなかフリーランスで稼いでいくことは難しいかと思います。
最後にフリーランスを目指すあなたへ
とにかく、フリーランスは自由な働き方ができます。自己の管理ができないと孤独感を味わい、メンタル面でも厳しくなります。
まずは自己管理を徹底し、周りの人たちと積極的にコミュニケーションを取り、孤独にならないようにしなければいけないと思います。これを克服できればフリーランスの良さがわかってくると思います。
夢を持ち続けること、その夢をどうやって実現するか常に考えること、これがフリーランスには重要ではないかと思っています。甘い世界ではないのですぐには結果ができると思わないでください。地道な努力が結果として現れると思います。
フリーランスの厳しさを理解した上で人生を楽しんでください。
まとめ
いかがでしょうか?IT業界で活躍したいとの強い思いと、自分で道を切り開いていくその強さがたかさんの今のキャリアに繋がっているんですね。
全ての経験は無駄になりません。また基本的な信頼や人脈を大切にすることを何よりも忘れてはいけません。
貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。